ヨルの足跡〜生きる〜

障害も精神疾患も無い。精神科に通うも「診断名」が付かない。だけど、”生きづらい”。そんな途方も無い、心の嘆き。 「私、これからどうしよう」

恋人への依存(コメントを下さった方へ)。

私の元に、一通(?)のコメントが寄せられました。
11月17日のことです。


その方が言うには、私の書いた記事「恋人への依存」に共感できるとのことでした。さらに、共依存について考えさせられる状態にあり、彼とは約1ヶ月音信不通だそうです。
恋人に依存している状態の私を思い返しながら読むと、動悸と目眩にむせ返るほど苦しい内容です。いてもたってもいられない、苦痛に悶える状況なのではないかと想像します。


私がたった一つだけ、具体的なアドバイスをするならば、精神科への受診と場合によってはカウンセリング等によるケアをおすすめします。


以下、頭を振り絞りながら、
私によるつたない言葉を記したいと思います……。



***



 「恋愛依存」という立派な依存症が存在します。まさしく、相手に依存してしまっている状態です。相手のことが気になる、常に管理したい、何をしているのか不安になる、相手中心の生活になっている……等が症状だそうです。


 ここでは専門的な意見は述べず(というか知識が無い!)、私なりの考えを述べられたらと思います。



1. 依存は、愛では無い。
 依存している状態って、相手のことを愛しているわけでは無い様な気がします。こんなことを言うと「愛しているからこそ尽くしている!」という声が聞こえてきそうですが……本当にそうでしょうか。私はそうは思いません。


 「自分の不安を解消する為」に、恋人に尽くしているだけなのではないでしょうか。


例えば、「愛されていないのかもしれない」という不安を埋め合わせてもらう為に相手の喜ぶことをする、「愛されている」という実感を得たいが為に相手中心の生活を送る、「愛情を感じたい」が為に連絡をこまめに取る……。


そんなの、愛でも何でも無いですよね。
自分の不安や虚無感を満たす為だけに、恋人というものは存在しているわけではない。
きついことを言えば、相手は一人の人間。自分を満たす為の道具じゃ無い。
……ただしこれは、逆のこともいえると思いますけどね。



あなただって、恋人を満たす為の道具では無い。



2. 依存に陥る原因
 これは、幼少期の家庭環境が影響しているのでは無いかと推測します。「愛着障害」などがそれに当たると思います。「安全地帯」である筈の母親がそうではない。簡単に言えば、子どもの頃母親に、ちゃんと愛情を与えてもらえなかった結果、「分離不安(愛する人から離れてしまう事への不安)」や「人間不信(人は信じても大丈夫な存在だと安心できない)」に陥るのでは無いでしょうか。その結果、不安定になるのです。
 この愛情への餓えは、成長するにつれて恋人に満たしてもらおうとする傾向にあるそうです。「かまってちゃん」と呼ばれる人の内、数名は、このように寂しい思いをした人たちなのでは無いだろうかと考えさせられます。
 彼氏への行動って、親による愛を確かめる子どもに似ていると思いませんか?例えば、「どれくらい愛してくれているのだろう?」とはかる為に、わざと嫌がる様なことや困る様なことをしてみる。愛してもらえていないかもしれない、と不安になった場合、「愛してもらう」ために喜んでもらえることを自分の限界を多少超えても一生懸命に行おうとする、「嫌われない」ために何でも言うことを聞く……。


 母親(養育者)と自分、恋人と自分。両者に共通されているのは「親密な二者関係」だと思うのです。そのため、幼少期に満たされなかった愛への餓えが、成長すると恋人へ向かうのでは無いかと思うのです。



3. 依存からの脱出
 「専門家を頼る」というのが何よりだと思います。しかしここでは、私なりに考えたことを述べたいと思います。


① 自分を大切にする
 恋人に依存している状態の自分って、なんだかかわいそうではありませんか?


・自分の時間が無い
・常に情緒不安定
・相手に振り回される
・自分のしたいことができない
・マイペースでいられない
・自分のことを褒めてあげられない


 こんなの、悲しすぎますよね。しかし、自分を赤の他人として客観視した時に、そんな様子が見えてきませんか?


ではどうしたらよいのか。


 私は、自分をお姫様扱いしてあげたら良いと思います。自分の理想とする執事になりきって(笑)。お姫様ってかわいらしくて、大切な存在ですよね?だからこそ、自分を自分でお姫様にしてあげるのです(これは過去に読んだ本を参考にしました。生憎、タイトルは忘れてしまいました……。申し訳ないです……)。


 例えば、恋人からの連絡が来ずにうみ疲れているお姫様をみたらどう声をかけますか?「何か甘いものを食べましょう」や「気分転換にどこかへ向かうのはいかがでしょう?」なんて声をかけたくなりませんか?または「湯船につかってみてはいかがでしょう?今回はキャンドルを用意いたしましたよ」なんてことも。


 例えば、恋人から冷たい態度をとられた時。「酷い相手ですね。ここに全てを打ち明けて記して下さい。私が全部読みますよ」や「今日はとっておきのアロマを用意いたしました。これで少しでも気分がほぐれて下さるとうれしいです」など。


 ちょっとふざけている様に聞こえるかもしれませんね(笑)しかしこれらって、自分の心が本当に求めていることなのではないでしょうか。自分で自分を満たしてあげる――大切にしてあげるというのは、決して虚しいことではありません。むしろ、とても(というか一番!?)大切なことのように思います。



② 動物を飼ってみる
 これはかなり限定された方にしか実行できないと思いますが……!
 私は最近、子猫を譲り受けました。子猫から学ぶことは多いです。
 好きな時に食べ、好きな時に寝る。好きな時に甘え、好きな時に遊ぶ……。そして私は、これらのことをすべて叶えてあげられる唯一の存在です。ただし、猫を満たしてあげようとする気持ちが働くのは、義務感からでも、責任感からでもありません。依存相手への行為と違って、「猫ちゃんのこと好きだものな~」「してあげないとな~」と単純に動くだけです。


 好きな時に甘えて、満足すると一人遊び始める様子を見ていると「依存では無く、純粋に甘えられる、ということはこういうことなのかな?」と考えさせられる時があります。上手く言葉に出来ませんが、猫ってものすごくマイペースです。それに比べ依存状態って、驚くほど相手に振り回されていますよね。これは余談ですが、甘えられる側も相手がマイペースで居てくれた方が、気が楽です。なぜならこちらもマイペースでいられるからです。
 この事をみていると、依存による甘えというものは、やっぱり本来分かち合う愛の形では無いことに気づかされます。


 また、あまりに純粋で無垢なその猫の姿に「私も本来の姿は、こうなのかな?」と感慨深いです。依存している状態って、ごはんもろくに食べられない程思い悩む事ってありませんか?
 この事をみていると、依存している状態の自分はいかに自分を失っているのかと気づかされます。



動物は、素直です。
素直で、かわいい。
人間よりも、ずっとわかりやすい(笑)。
こういう風に、本能のままに野生を生きる動物を飼うと、癒やされるだけで無く、「本来の私」というものを垣間見られる気がします。



3. 最後に
 頭フル回転でした。が、この程度しか書けず申し訳ないです。い、いかがでしたでしょうか?
 建設的……というか、純粋、というか。そういった恋愛関係(もしくは二人の愛)をはぐくんでいける人って、お互いに自立できているような気がします。自立、ってむつかしい言葉ですが、要は「自己管理ができるひと」という意味です。恋愛によるトラブルって、様々ですよね。例えば、依存、DV、ストーカー、など。それらに共通していることは「自分をコントロールできていない」ということなのではないでしょうか。
故にこの「自分をコントロールできているかどうか?」と一度でも問いかけてみると、絡まった糸を紐解いていくはじめの一歩になる気がします。


 コメントを下さった方、ありがとうございました。遅くなってすみません。自分のテーマでもあったので、返事を書くのにずいぶんと時間がかかってしまいました。